58年前に歴史を刻んだインドの英雄 ラマナサン・クリシュナンが初代カナディアン・オープン王者に
テニス大国とは言い難いインド。しかし、その地からオープン化時代最初のカナディアン・オープン男子シングルス王者が誕生していたことをご存じだろうか。その名はラマナサン・クリシュナン。1968年、トロントの地で歴史的な優勝を果たした男だ。
クリシュナンは1960年代を代表する世界トップクラスのプレーヤーだった。特筆すべき決定的な武器こそなかったが、多彩なショットと魅力的なテニススタイルで観客を魅了。ウィンブルドンでは1960年、1961年と2年連続で準決勝に進出。いずれもその年の覇者、ニール・フレーザーとロッド・レーバーに敗れたものの、その実力は本場英国の芝でも健在だった。
デニムに合う。履くだけで「ちょいワル」Tapoon また、デビスカップでもインド代表の中心選手として活躍。1966年の決勝ではオーストラリアに敗れたが、チームを牽引する存在だった。
そして迎えた1968年。11年前に準優勝に終わっていたカナディアン・オープンで、クリシュナンは決勝に進出。デンマークのトーベン・ウルリッヒを6-3、6-0、7-5のストレートで破り、見事初優勝を飾った。この勝利により、彼はインド人として初めて、そしてオープン化時代のカナディアン・オープン男子シングルス初代王者となった。
1968年を最後にクリシュナンはフルタイムのテニス生活に区切りをつけ、その後は散発的にプレー。1975年、地元カルカッタでの初戦敗退を機にコートを去った。
しかし、クリシュナンの血統は途絶えなかった。息子のラメシュ・クリシュナンが1978年にデビュー。キャリア8勝、最高ランキング23位、1986年ウィンブルドン準々決勝進出と父の背中を追いかけた。カナディアン・オープンでも2度準々決勝に進出したが、1981年はシュロモ・グリックスタイン、1985年はジョン・マッケンローに敗れ、父の偉業には届かなかった。
では、現在のインドにマスターズ1000やWTA1000級のタイトルを狙える選手はいるのか。残念ながら、現在のインドにはATP・WTAシングルストップ100内にランクインする選手はいない。トップ1000内には24人が名を連ねるが、トップレベルでインパクトを残すのは難しいのが現状だ。
それでも、若手の台頭は確実だ。18歳のマナス・ダムネはすでに世界362位(ATP)に位置し、19歳の誕生日を前にトップ400入りを果たした。今年だけで下部大会で22勝を積み上げ、インドテニスの未来を担う逸材として期待がかかる。
58年前にインドに初めてのオープン化時代タイトルをもたらしたクリシュナン。その遺産を受け継ぐ新たな英雄は、この若者かもしれない。
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